名古屋高等裁判所 平成10年(ネ)279号 判決 1999年11月17日
《住所略》
控訴人
中川徹
《住所略》
控訴人
三浦和平
《住所略》
控訴人
早川善樹
《住所略》
控訴人
早川彰子
《住所略》
控訴人
柴原洋一
《住所略》
控訴人
田中良明
《住所略》
控訴人
中垣たか子
《住所略》
控訴人
小松猛
《住所略》
控訴人
増田勝
《住所略》
控訴人
天野美枝子
《住所略》
控訴人
河田昌東
《住所略》
控訴人
大嶽恵子
《住所略》
控訴人
竹内泰平
《住所略》
控訴人
小野寺瓔子
《住所略》
控訴人
寺町知正
《住所略》
控訴人
寺町緑
右16名訴訟代理人弁護士
松葉謙三
同
齋藤誠
同
石坂俊雄
同
平井宏和
同
矢花公平
同
米山健也
《住所略》
被控訴人
安部浩平
《住所略》
被控訴人
太田四郎
《住所略》
被控訴人
齋藤孝
《住所略》
被控訴人
内田敏久
《住所略》
被控訴人
木村洋一
《住所略》
被控訴人
殿塚〓一
右6名訴訟代理人弁護士
片山欽司
同
井上尚司
主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人らは、訴外中部電力株式会社に対し、各自2億円及びこれに対する平成6年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 被控訴人ら
主文と同旨
第二 事案の概要等
事案の概要、争いのない事実、争点及び争点についての当事者の主張は、次のとおり訂正、付加するほか、原判決「事実及び理由」の「第二 事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決12頁10行目冒頭から11行目末尾までを次のとおり改める。
「本件支出は、後記(一)の支出の目的における違法性、(二)の支出の多額性における違法性及び(三)の海洋調査実施の見込みのないことによる違法性の3点において違法のものである。そして、右各違法性は相互に関連しているから、本件支出については、これらの点を総合的に検討する必要があり、個別的に見て違法性がないとしても、総合的に検討すれば違法というべきである。被控訴人らは、右のとおり違法な本件支出をしたことについて、企業経営者として事実の認識に誤りがあり、その判断において不合理、不適切なところがあったから、中部電力の取締役として善管注意義務ないし忠実義務に違反したものというべきである。」
二 同13頁5行目の「海洋調査に」から7行目の「渡ることを」までを「1年以内に同漁協が海洋調査に同意しない場合には返還しなければならないという、いわばひも付きの金員が同漁協組合員に渡ることにより、右金員の返還の困難な組合員が否応なしに海洋調査に対する同意決議をせざるを得ない状況を作り上げることを」と改め、9行目の末尾の後に「そして、後記のとおり、本件支出額2億円が多額に過ぎること及び環境影響調査の一環としての海洋調査実施の見込みがないにもかかわらず、右海洋調査実施に伴う実害補償額を予め預託していることは、本件支出が古和浦漁協の意思決定過程を歪める目的をもっていたことを裏付けるものである。」を加える。
三 同14頁4行目に「多額である。」とあるのを「多額であって、本件支出額2億円は古和浦漁協組合員1人当たり100万円を配分することを前提として算定されたものである。」と、同15頁9行目に「約13パーセント」とあるのを「約1.3パーセント」と、同16頁8行目に「三重県農林水産統計年報」とあるのを「三重農林水産統計年報」とそれぞれ改め、同17頁4行目の末尾の後に「被控訴人らの主張する所得率65パーセントは高率に過ぎる。」を加える。
四 同17頁7行目冒頭から11行目末尾までを次のとおり改める。
「本件支出時点において、長島町漁業協同組合及び方座浦漁業協同組合は、芦浜原発建設に強硬に反対しており、古和浦漁協についても確実に海洋調査の同意の得られる見込みがない状況であったから、右各漁協及び錦漁業協同組合の各共同漁業権設定区域を合わせた区域における環境影響調査の一環としての海洋調査実施の見込みはなかった。右の方法による海洋調査が実施されない限り芦浜原発建設計画は実現しないから、古和浦漁協及び錦漁業協同組合の各共同漁業権設定区域に縮小して環境影響調査としての海洋調査を実施することの合理性はない。また、自主的な調査として海洋調査を実施したとしても、その調査結果を活用する見込みはなかった。」
五 同18頁2行目冒頭から末尾までを次のとおり改める。
「本件支出は、次のとおり違法ではない。本件支出をしたことについて、被控訴人らには、企業経営者として事実の認識に誤りはなく、また、その判断において不合理、不適切なところはなかったから、中部電力の取締役としての善管注意義務ないし忠実義務の違反はない。」
六 同18頁5行目冒頭から7行目末尾までを次のとおり改める。
「本件支出は、古和浦漁協の海洋調査の同意決議を得るために、その意思決定過程を歪める目的をもってなされたものではない。本件支出金2億円の預託は古和浦漁協からの積極的な支援要請に基づいて行われたものである。中部電力は、古和浦漁協において海洋調査受入れの同意決議がされるものと確信し、その見通しを前提として、同漁協に対し漁業経営基盤の整備のために右2億円を預託したものである。古和浦漁協の上村組合長は、右支援要請の際にその使途を海洋調査の勉強と漁業経営基盤の整備のためと説明していた。中部電力は、右2億円の一部が古和浦漁協組合員に対する貸付けに当てられることがありうるとは考えていたものの、同漁協が右2億円を組合員に対し一律に貸し付けることまでは予測していなかった。まして、中部電力が古和浦漁協に対し右2億円の使途を指定したことはない。」
七 同18頁10行目冒頭から19頁1行目末尾までを次のとおり改める。
「(1) 海洋調査の実施にかかる実害補償金額については、被控訴人らの算定によれば、原判決別紙<2>記載のとおり年額約9500万円である。中部電力は、実害補償金の概算額の算定について、海洋調査の実施に伴い一時的に漁業を休止することを余儀なくされることによって生じる漁業所得の減少額を算定した。右算定は、古和浦漁協における漁業を魚類養殖と一般の漁業(共同漁業権設定区域内で行われる漁船漁業。なお、貝及び海藻の採捕を含む。)とに区分し、それぞれについて、年間漁業収入額に年間の支障率を掛けるという方法によった。この際、所得率については、魚類養殖についても一般の漁業と同様に東海農政局三重統計情報事務所編集にかかる第39次三重農林水産統計年報(乙二五)に記載されている三重県内の漁船漁家における昭和62年から平成3年までの5年間の漁業収入及び漁業所得をそれぞれ平均した値から算出した所得率0.65を採用した(乙二〇、二二)。これが古和浦漁協を納得させうる信頼性の高いデータであったのである。
(2) 中部電力では、本件支出以前から、海洋調査について、芦浜地点周辺海域は複雑な海流の動きがみられること、既存の資料が整っていないこと、漁業者の理解を得る必要があることから、十分な時間をかけて慎重に調査をする必要があり、その調査期間を3年とするのが妥当であると考えていた。
(3) 以上のとおり、海洋調査の期間を3年とした実害補償金の概算額は2億円を超えており、本件支出金2億円は適正な額である。」
八 同19頁4行目冒頭から7行目末尾までを次のとおり改める。
「(1) 古和浦漁協では、平成5年4月に実施された役員選挙において推進派の執行部が誕生したこと、役員選挙の結果によると組合員の過半数が芦浜原発の立地推進を支持していると考えられたこと、同年8月に業務運営委員会が実施した組合員意識調査の結果によれば、原発立地先進地視察の要望が多かったこと、これを受けた理事会で先進地視察が決定されて、同年10月及び11月に古和浦漁協役員等が先進地視察を実施したこと、古和浦漁協の組合員有志が海洋調査受入れについて組合員に賛同を呼びかけるとともに執行部に対応を求める署名活動を行っていること等の諸事情があった。そこで、中部電力では、同年11月下旬ころには、古和浦漁協内部において芦浜原発建設容認の気運が高まっており、海洋調査受入れの態勢が着実にできあがりつつあるものと判断しており、現地事務所から、同年11月30日に組合員有志の代表者4名が「海洋調査検討機関の設置」及び「当面の経営危機打開策の実施」を求める要望書(甲二の一)を右署名活動の趣旨に賛同した組合員95名の署名簿とともに同漁協に提出し、同年12月3日に開催される理事会において右要望への対応が議題とされる予定であるという報告を受け、近い将来海洋調査の実施について同漁協の同意が得られるのはほぼ確実であると判断したのである。
(2) 以上のとおり、本件支出当時、古和浦漁協及び錦漁業協同組合は基本的には海洋調査を受入れることがほぼ確実であったところ、仮に長島町漁業協同組合及び方座浦漁業協同組合の海洋調査実施の同意が得られず、右4漁協の各共同漁業権設定区域において環境影響調査としての海洋調査の実施ができないとしても、発電所から放出される温排水の放流方式を水中放流方式とし、温排水による影響範囲を古和浦漁協及び錦漁業協同組合の各共同漁業権設定区域に限定して、環境影響調査としての海洋調査を実施することを考えていた。その場合、古和浦漁協及び錦漁業協同組合の同意さえあれば、海洋調査を実施することができた。そこで、中部電力としては環境影響調査としての海洋調査実施の見込が高いと判断したのである。
(3) さらに、中部電力は、海洋調査を自主的な調査として行う意向を有しており、本件支出当時、右のとおり古和浦漁協及び錦漁業協同組合の同意が得られることは確実であったから、少なくとも自主的な調査であれば、右同意後、直ちに海洋調査を実施することができた。自主的な調査であっても、後日行われる環境影響調査において既存資料あるいは解析の参考資料としたり、芦浜原発の港湾施設や取水口・放水口等の位置や形状等を決定するための基礎資料としたり、原発の建設、運転による漁業や海域部分の環境への影響等について漁協等へ説明する際の資料とすることができること、また、地元地方自治体、漁協等が漁業振興策を検討、実施する際に右調査結果を提供してこれに協力することができることなど、右調査結果を今後の芦浜原発建設に向けた立地推進に役立てることが可能であり、自主的な調査としても海洋調査を実施する意義は十分あったのである。」
九 原判決21頁7行目の「被告安部ら」の後に「及び被控訴人木村」を加える。
一〇 控訴人らの当審主張
1 本件支出に関する電気事業法34条、電気事業会計規則3条、商法32条違反について
中部電力は、本件支出金2億円の会計処理上、その勘定科目を電気事業会計規則別表第一の「資産」「(1)固定資産」「建設仮勘定(科目)」「電気事業固定資産建設準備口(款)」として整理している。中部電力の右会計処理は、次の(一)ないし(三)のとおり電気事業法34条、電気事業会計規則3条、商法32条に違反する違法のものである。電気事業法は電気事業者の利益保護をも意図して立法されたものであり、同法34条及び電気事業会計規則3条は電気事業者の利益保護をも目的とする規定である。商業帳簿制度は会社等の商人及び株主を始めとするその関係者の利益を保護することを目的としており、商業帳簿の作成は公正なる会計慣行(企業会計原則がこれに該当する。)を斟酌すべしと規定する商法32条2項も会社及び株主の利益を保護することを目的とするものである。したがって、電気事業法34条、電気事業会計規則3条、商法32条は、商法266条1項5号所定の「法令」に該当する。右法令の違反がある場合には、取締役の責任の有無を判断するについて、いわゆる経営判断の原則は適用されない。右の法令に違反して本件支出をしたこと自体が、中部電力の取締役である被控訴人らの善管注意義務違反ないし忠実義務違反となる。
(一) 電気事業会計規則において、同規則別表第一の勘定科目の「電気事業固定資産建設準備口(款)」に計上できるのは、「電気事業固定資産の建設工事の実施が確定する前にその予備測量、調査その他建設準備のために要した金額」であるとされている。ところが、本件支出時点で、古和浦漁協が海洋調査実施に同意し、かつ、右海洋調査が実施ができるか否かについて未確定であった。海洋調査実施についての同漁協の同意がなければ、海洋調査実施の対価である本件支出金2億円は建設準備のために要した金額と評価することはできない。したがって、中部電力が、会計処理上、本件支出金2億円を「電気事業固定資産建設準備口(款)」に計上したのは違法である。
(二) 中部電力は、古和浦漁協に対し本件支出金2億円を確定的に支払ったのでない限り、会計処理上、右2億円を「電気事業固定資産建設準備口(款)」の勘定科目に計上してはならなかった。右2億円は、本件支出時から1年以内に海洋調査実施について同漁協の同意が得られない場合には、同漁協から中部電力に返還されるべきことが約定されており、同漁協に対して確定的に支払われたということではない。したがって、中部電力が右2億円を「電気事業固定資産建設準備口(款)」の勘定科目に計上したことは、会計処理の大原則である真実性に反するものであって違法である。
(三) 資源エネルギー庁が定めた供給規程料金算定要領(甲九二)ないし供給約款料金審査要領には、電気事業者の「事業の報酬は、真実かつ有効な事業資産の価値に対し、報酬率を乗じて算出した額とする。」旨規定されている。電気事業固定資産を建設するための準備費用は建設仮勘定に計上されるところ、建設中の資産は建設仮勘定の平均残高から算出されて右事業資産に含まれる。建設仮勘定に関する会計整理が適正になされていない場合には、電気事業者の事業報酬が不当に高額に算定されることがありうることになり、それによって、電気需要家に対し不当に高額な電気料金が課せられることになる。被控訴人らは、海洋調査実施が可能かどうか不明であるにもかかわらず、本件支出金2億円を右のとおり「建設仮勘定(科目)」「電気事業固定資産建設準備口(款)」に計上したが、右「建設仮勘定」に整理された右2億円は、右の真実かつ有効な事業資産といえないことが明らかである。中部電力は、不当に右2億円を「建設仮勘定」に計上することにより、電気需要家の犠牲のもとに不当な事業報酬を得ていたことになる。したがって、本件支出に関する会計処理は違法である。
2 本件支出に関する真実かつ有効な事業資産の価値(レートベース)不算入の違法について
前記供給規程料金算定要領ないし供給約款料金審査要領によれば、公正報酬の原則からの要請と需要家に対する公平の原則からの要請との調和を図るべく、建設仮勘定に会計整理された支出については、減価償却等による事業費用化を認めず、原価計算期間中の建設仮勘定の平均残高から建設中利息相当額等を控除した残高の50パーセントを真実かつ有効な事業資産の価値(レートベース)に算入し、事業報酬算定の基礎とする旨定めている。右要領によれば、現在の電気需要家と将来の電気需要家の負担の公平を図るために、建設仮勘定に計上された金額をレートベースに算入しないということは、不必要であるとともに許されないことである。被控訴人らは、右要領に従って、建設仮勘定に計上されている本件支出金2億円をレートベースに算入すべきであるにもかかわらず、これを算入せず、右2億円を中部電力の電気料金収入に反映させることをしなかった。被控訴人らのこのような処理は、会社及び株主の利益を損なうことであり、取締役としての善管注意義務ないし忠実義務に違反するものである。
一一 右主張に対する被控訴人らの応答
1 本件支出に関する電気事業法34条、電気事業会計規則3条、商法32条違反について
(一) 中部電力は、本件支出金2億円の勘定科目を電気事業会計規則別表第一の「資産」「(1)固定資産」「建設仮勘定(科目)」「電気事業固定資産建設準備口(款)」として整理している。「建設仮勘定」は電気事業固定資産を取得するために要した金額を整理し、その後右金額を電気事業固定資産勘定に振り替えるための勘定科目である。電気事業会計規則では、電気事業固定資産を建設によって取得する場合に、当該固定資産の使用が開始されるまでの間は、原則として「建設仮勘定」をもって整理することとされている。「建設仮勘定」には「電気事業固定資産建設工事口」と「電気事業固定資産建設準備口」とがあり、前者は実施が確定した電気事業固定資産の建設工事の建設準備に要した金額、後者は実施が確定する前にその予備測量、調査その他建設準備に要した金額を整理するものである。本件支出金2億円は、古和浦漁協に対する預託金であって海洋調査に伴い支払われることになる実害補償金の前払いの性質を持つものではない。しかしながら、海洋調査について同漁協の同意が得られたときには、約定により実害補償金の一部に充当されることとされていたし、右預託当時の情勢からすれば、1年後にはそうなる可能性が極めて高かった。そこで、中部電力は、本件支出を電気事業固定資産の建設準備のための支出としてとらえ、工事建設準備にかかる一切の支出を仮に整理する勘定科目である「建設仮勘定(科目)」「電気事業固定資産建設準備口(款)」に整理したのである。この会計整理は適法かつ妥当なものであって、電気事業法34条、電気事業会計規則3条、商法32条に違反せず、本件支出は法令に違反するものではない。
(二) 中部電力は、本件支出金2億円を「建設仮勘定(科目)」「電気事業固定資産準備口(款)」に会計整理したが、「建設仮勘定」に計上された金額がすべて事業報酬算定の基礎となる真実かつ有効な事業資産の価値(レートベース)に含まれるものではない。中部電力は、芦浜原発に関して「建設仮勘定(科目)」「電気事業固定資産建設準備口(款)」に計上されている資産を右事業報酬算定の基礎となるレートベースには含めていない。したがって、中部電力が不当な事業報酬を得ているということはない。
(三) 電気事業法34条、電気事業会計規則3条、商法32条は、いずれも金銭支出後の会計整理を定めたものにすぎないから、仮に会計整理において右法条に違反することがあったとしても、本件支出金2億円の支出が違法となるものではない。企業会計は、企業の財産を増減させる取引等の事実の発生後に、当該取引について主として貨幣額で測定、記録、報告する行為である。かかる企業会計の意義からすれば、会計整理とその前段階の取引である本件支出とは別個のものである。
(四) 取締役の行為について法令の違反があるとしても、経営判断の原則の適用が排除されることはない。仮に法令の違反がある場合には経営判断の原則の適用が排除されるとしても、右法令の中にあらゆる法令が含まれる訳ではない。商法266条1項5号所定の「法令」とは、会社や株主の利益を保護することを意図して立法された規定及び当該会社の取締役にとって公序となる規定に限定されるべきである。控訴人らが法令違反であると主張する法令は、電気事業者はその会計を通商産業省令である電気事業会計規則で定めるところにより整理しなければならないとする電気事業法34条、勘定科目及び財務諸表を定めた電気事業会計規則3条、商業帳簿の作成に関する規定の解釈については公正なる会計慣行を斟酌すべしとする商法32条である。右法令は、いずれも会計整理を定めたものであって、会社や株主の利益を保護することを目的とする規定ではなく、取締役にとって公序となる規定でもない。また、右法令に違反することによって会社が損害を被るというものでもない。したがって、右法令違反があったとしても経営判断の原則の適用が排除されることはない。そもそも本件において取締役の義務違反が問われているのは、本件支出金2億円の支出に関してであって、右支出後の会計整理に関してではないから、会計整理に法令違反があったとしても、そのために本件支出が違法となるものではない。
2 本件支出に関する真実かつ有効な事業資産の価値(レートベース)不算入の違法について
中部電力は、電気料金改定の申請をするに当たり、その原価計算期間中に電源開発基本計画に組み入れられる予定のない発電所の建設にかかる建設仮勘定の残高を真実かつ有効な事業資産の価値(レートベース)を構成する建設中の資産の額に算入しないこととしている。それは右のような発電所の建設にかかる支出を現在の電気需要家に負担させず、将来の電気需要家に負担させようとの考えに基づくものである。本件支出金2億円は、その会計処理上、勘定科目の「建設仮勘定(科目)」「電気事業固定資産建設準備口(款)」に計上されたが、中部電力は、右2億円を供給規程料金算定要領ないし供給約款料金審査要領により事業報酬算定の基礎となるレートベースに算入していない。中部電力が右2億円を右レートベースから除外しているのは、芦浜原発の建設計画が電気料金改定の原価計算期間中に電源開発基本計画に組み入れられる予定がなかったからである。本件支出は、芦浜原発の建設計画が電源開発基本計画に組み入れられることになった以降の電気料金改定において、建設中の資産あるいは電気事業固定資産としてそれぞれレートベースに算入され、電気料金に反映されることになるのである。したがって、中部電力の右のような処理は会社及び株主の利益を損なうことにはならず、被控訴人らについて取締役としての善管注意義務ないし忠実義務の違反はない。
第三 当裁判所の判断
当裁判所も控訴人らの本訴請求をいずれも棄却すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり改訂、付加するほか、原判決「事実及び理由」の「第三 争点に対する判断」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の改訂
1 原判決31頁1行目及び32頁9行目にいずれも「同漁業」とあるのを「同漁協」と改める。
2 同40頁2行目に「前記一1」とあるのを「前記一1及び2」と、8行目に「同漁業」とあるのを「同漁協」とそれぞれ改める。
3 同41頁4行目に「重要かつ不注意な」とあるのを削除する。
4 同42頁9行目の「右認定の事情」の後に「及び後記3のとおりの海洋調査実施の見込みのもとに、海洋調査実施による実害補償額を算定して本件支出額を決定したことなどの事情」を加える。
5 同47頁7行目から8行目にかけて及び同別紙<2>にそれぞれ「第39次三重県農林水産統計年報」とあるのを「第39次三重農林水産統計年報」と改める。
6 同48頁7行目から8行目にかけて「重要かつ不注意な」とあるのを削除する。
7 同48頁8行目末尾の後に「そして、当審において取調べの各証拠によるも右認定、判断を動かすことはできない。」を加える。
8 同49頁6行目及び50頁10行目にいずれも「重要かつ不注意な」とあるのを削除する。
9 同51頁3行目末尾の後に行を改めて次のとおり加える。
「4 右2のとおり、本件支出は、原発立地の機運をこわさないようにするという目的のもとにされたものであって、その目的に違法の点はなく、また、右3のとおり、本件支出金額の決定、判断について、及び本件支出時における海洋調査実施の見込みの判断について、被控訴人らにその前提となる事実の認識に誤りはない。そして、本件支出について、右目的のもとに、右のとおりの海洋調査の見通しをもって右支出金額を決定、判断した過程において、特に不合理、不適切なところはないから、控訴人らが主張する本件支出についての各違法性の有無を総合して検討しても、被控訴人らには、取締役としての善管注意義務ないし忠実義務の違反はないというべきである。」
二 原判決の付加
1 経営判断の原則について
本件支出は、引用にかかる原判決「事実及び理由」の第三の二に判示のとおり、中部電力において、芦浜原発の立地推進の観点から必要があり、また預託金の回収可能性の観点からしても許容性があるとの経営上の認識、判断のもとに決定されたものである。
しかして、本件支出を決定した取締役の行為が取締役としての善管注意義務ないし忠実義務に違反するものであるか否かについては、当該取締役の行為が、法令及び定款の定め並びに株主総会の決議に違反せず、会社に対する忠実義務に背かない限り(商法254条の3)、経営上の裁量を有していると解されるので、本件支出の決定という経営上の判断において、その前提となった事実の認識に誤りがなく、その判断過程に企業経営者として特に不合理、不適切なところがない限り、右義務に違反するものではないとする、いわゆる経営判断の原則に照らして検討するのが相当である。
そこで、以下、当事者の当審主張について順次検討する。
2 本件支出に関する電気事業法34条、電気事業会計規則3条、商法32条違反について
(一) 引用にかかる原判決「事実及び理由」の第二の二の争いのない事実及び同第三の一の認定事実並びに証拠(甲九二、乙四九、五二、五三の一、二、五四の一、二、五五ないし五八)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1) 中部電力は、本件支出時における会計処理上、本件支出金2億円を電気事業会計規則別表第一の勘定科目である「資産」「(1)固定資産」「建設仮勘定(科目)」「電気事業固定資産建設準備口(款)」に整理している。電気事業会計規則では、「建設仮勘定」は電気事業固定資産を取得するために要した金額を整理し、その後右金額を電気事業固定資産勘定に振り替えるための仮勘定であり、電気事業固定資産を建設によって取得する場合には、当該電気事業固定資産の使用が開始されるまでの間は、原則として「建設仮勘定」をもって整理することとされている。「建設仮勘定」には「電気事業固定資産建設工事口」と「電気事業固定資産建設準備口」とがあり、前者は実施が確定した電気事業固定資産の建設工事に要した金額、後者は実施が確定する前にその予備測量、調査その他建設準備のために要した金額を整理するものである。
(2) 本件支出金2億円は、中部電力から古和浦漁協に預託されたものであって、海洋調査に伴い支払われることになる実害補償金の前払いの性質を持つものではないけれども、同漁協の海洋調査実施に関する同意が得られたときには、平成5年12月15日付の中部電力と同漁協との間の覚書により実害補償金の一部に充当されることとされており、右預託当時の情勢からすれば、1年後には右のように充当される可能性が大きかった。そこで、中部電力としては、本件支出を電気事業固定資産の建設準備のための支出としてとらえ、工事建設準備にかかる一切の支出を仮に整理するための勘定科目である「建設仮勘定」「電気事業固定資産建設準備口」に整理したものであり、右会計整理は電気事業会計規則の趣旨に適うものである。
(3) 「建設仮勘定」に計上された金額がすべて供給規程料金算定要領ないし供給約款料金審査要領による電気事業者の事業報酬算定の基礎となる真実かつ有効な事業資産の価値(レートベース)に含まれるべきものではない。中部電力は芦浜原発に関して「建設仮勘定」「電気事業固定資産建設準備口」に計上されている資産を事業報酬算定の基礎となるレートベースには含めていない。
(二) 右(一)の認定事実によれば、中部電力が、会計処理上、本件支出金2億円を電気事業会計規則別表第一の勘定科目である「資産」「(1)固定資産」「建設仮勘定(科目)」「電気事業固定資産建設準備口(款)」に整理したことは、商法32条に反するものでないことはもとより、電気事業法34条、電気事業会計規則3条に反するものでもなく、中部電力の右会計処理に違法の点はないというべきである。
(三) また、右(一)の認定事実によれば、中部電力は、芦浜原発に関して「建設仮勘定」「電気事業固定資産建設準備口」に計上されている資産を事業報酬算定の基礎となるレートベースには含めていないことが認められるから、右レートベースに含めることによって電気需要家の犠牲のもとに不当な事業報酬を得ているということにならないというべきである。
(四) 以上のとおり、中部電力が本件支出金2億円についてした右会計処理は、電気事業法34条、電気事業会計規則3条、商法32条に違反するとはいえないから、この点をとらえて、本件支出について中部電力の取締役である被控訴人らに善管注意義務ないし忠実義務の違反がある旨の控訴人らの主張は採用することができない。
3 本件支出に関する真実かつ有効な事業資産の価値(レートベース)不算入の違法について
(一) 証拠(甲二九、乙四九、五二、五三の一、二、五四の一、二、五五ないし五八)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1) 中部電力は、未だ電源開発基本計画に組み入れられる予定のない発電所の建設にかかる費用の支出については、これを現在の電気需要家に負担させず、将来の電気需要家に負担させることとし、そのために、電気料金改定の申請をするについて、原価計算期間中に電源開発基本計画に組み入れられる予定のない発電所の建設にかかる建設仮勘定の残高を、供給規程料金算定要領ないし供給約款料金審査要領による事業報酬算定の基礎となる真実かつ有効な事業資産の価値(レートベース)を構成する建設中の資産の額に算入しない方針を採用している。
(2) 本件支出金2億円は、その会計処理上、勘定科目の「建設仮勘定(科目)」「電気事業固定資産建設準備口(款)」に計上されているが、中部電力は、それまで芦浜原発の建設計画が電源開発基本計画に組み入れられる予定がなかったために、右方針に従い、右勘定科目に計上されている右2億円を右事業報酬算定の基礎となるレートベースに算入していない。
(3) 将来、芦浜原発の建設計画が電源開発基本計画に組み入れられたときには、本件支出金2億円は、電気料金改定の申請に際して、建設中の資産あるいは電気事業固定資産とされてレートベースに算入され、それ以降の電気需要家が負担すべき電気料金に反映されることになる。
(二) 右認定事実によれば、中部電力は、芦浜原発の建設にかかる本件支出金2億円を、レートベースを構成する建設中の資産の額に算入せず、将来芦浜原発が電源開発基本計画に組み入れられた後においてレートベースに算入し、それ以後の電気料金に右2億円を反映させ、これを電気需要家に負担させるという措置を取ったものである。この措置は、前記供給規程料金算定要領ないし供給約款料金審査要領が電気料金を能率的な経営のもとにおける適正な原価に適正な利潤(事業報酬)を加えて算定すべきものとし、その利潤(事業報酬)は真実かつ有効な事業資産の価値(レートベース)に基づいて算定されるべきものとしている趣旨に適うものということができる。そして、右のとおり、本件支出金2億円は、芦浜原発が電源開発基本計画に組み入れられた後においては電気料金に反映され、それ以後の電気需要家から電気料金として徴収され、中部電力の事業収入に還元されるものであるから、中部電力の取った右措置によって、会社及び株主の利益が損なわれたことにはならないというべきである。
(三) したがって、中部電力が本件支出をレートベースに算入しなかったことについて、被控訴人らに取締役としての善管注意義務ないし忠実義務の違反がある旨の控訴人らの主張も採用することができない。
第四 結論
よって、原判決は相当であって、控訴人らの本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民訴法67条1項、61条、65条1項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 寺本榮一 裁判官 下澤悦夫 裁判官 後藤隆)